田子の浦

前回は、あまりにすっきりした作品でしたから、今回は、紙面いっぱいに広がる画を選びたくなりました。最近、この摺物アルバムには「新版画」を1枚加えるようにしています。可能な時には、現存する作家の作品、そうでなければ、著作権の消滅している物を選んでいます。日本における著作権は、作家の没後50年間有効と規定されています。この作者である土屋光逸の作品は、彼が1949年に没しているので、自由に使用することができます。(著作権に関しては、有効期限が延長される傾向にあります。特にアメリカでは、大企業が働きかけて無期限に著作権を行使できるよう法律を変えようとし続けています。この動きが日本にも出てくると、私の仕事は終わりです。少なくとも、新版画分野に属する作品は作れなくなるでしょう。)

新版画を作る時の摺の工程は、日本の古典版画の場合よりも極めて難しくなっています。浮世絵などは、ほとんどの工程が版画から見てとれます。輪郭は明瞭でくっきりし、色の付いている部分は、きっちりと決まっていますから。一方、新版画の神髄は、色を何層にも摺り重ねて混ぜるという所にあるので、画を織りなす色版をどのように編成したかを見抜く事がとても難しいのです。使われた版木を見るなど、もちろんできない事ですから、それがどのように作られたかは、完成品から推定(リバース・エンジニアリング)するしかありません。しかも、ここまででやっと半分、色版の構成を決めてから試し摺りをすると、新たに決めなくてはならない事柄が、山のように出てくるのです。

吉田博は、1926年に有名な一連の版画を作り、ひと組の版木の用い方によって、どれもが非常に異なった雰囲気になる事を示しています。陽の当たっている時、霧の中、夜闇の中、などなどの情景です。版木の上に載せる絵の具の扱い方を変えて、こういった情景にあらゆる変化を付けました。これは、版画を制作する人達にとって、喜びでも苦しみでもあります。画家の方では、この優れた柔軟性を利用して、摺の基準となる「試し摺り」を創り出す過程を満喫できるでしょう。でも、文字通り限りない可能性があり、どの試し摺りも美しくなるとすれば、最終決定を下すまでに膨大な時間(費用)が掛かってしまいます。

請け負う摺師は、どんなにか根を要する仕事に直面した事でしょう。どの作品も、基準となる試し摺りと同じにしなくてはならないのに、絵の具を混ぜる時の、ほんのちょっとした頃合でも、作品の雰囲気はガラリと変わってしまうのですから。深みのある水の色、空の輝き、水面を漂う霧の状態など、こういった部分は自由自在になるだけに、調整が恐ろしく難しくなります。私は、試し摺りをする前に、この版画をインターネットでたくさん調べました。どれも、ある版元が、自分の所有する版木を用いて、数10年の間隔をおいて作ったものでした。ところが、それぞれ随分と違うのです。湖は青紫であったり青緑であったり、木の幹には日射しが当たっていたりいなかったり、細かく見ればどの部分をとっても違っています。現代に近付くに連れて、より派手になっているのは、時代の好みが変わった為もあるでしょうが、摺師が、基本となる試し摺りにあまり忠実でなかったからと思える物もあります。

そこで私は、どの版画を手本にしたのでしょうか。実際は、どれでもありません。当時の版元が、あまりに様々な版を出しているので、かなり自由な気分で作れたからです。版木の構成を慎重に調べ、古い方の作品をじっくり観察し、そしてできあがったのが今御覧になっている作品です。自分としてはかなり満足していて、見ていると、まるで田子の浦のほとりにいるようです。

そこで思い出しましたが、もうひとつ、この版画についてお伝えしたいことがあります。長い間おつき合い頂いている収集家の方達は御存じでしょうが、摺物アルバムの作品はどれも、水平に手で持って間近で見る方が美しさを楽しめます。でもこの作品の場合は、デザインや遠近法が西洋的なため、垂直に置いてちょっと離れた位置から見た方が良いでしょう。

では、田子の浦への旅をお楽しみください!

平成16年2月

デービッド