雅号変更の通知

前回書いたように、毎回7枚目の版画はちょっと豪華になっています。これが良い結果をもたらすのはもちろんですが、とても時間の掛かることが難点です。北渓の作品のように2ヶ月も掛かってしまうと、どうしても無理がでてしまい、次の作品はおとなしい作風にしなければならなくなります。でも、これを見て下さい!これよりも穏やかにしたら、更の和紙になってしまいますね!

正直、これは冗談ではありません。摺物アルバムの紙をずうっと漉いてくださっている岩野市兵衛さんに、以前和紙を頂戴したことがあり、大切に保存してあります。ほぼこの作品くらいの大きさで、右下に印が押されてあるだけの和紙ですが、紙自体がまるで芸術品なのです。ですから、岩野さんが今回の作品を見たら、きっと喜んでくださると思います。遂に、ドウサ処理をせず、絵具に邪魔もされず、紙自体の美しさを皆さんに示すことができたからです!

この作品では、歌が大きな部分を締めますが、これにはちょっと説明が必要でしょう。しろうと歌人が、雅号を変更する旨を知らせるために作った摺物で、おそらく歌仲間に数十枚ばかりを配ったのだと思います。こういった人達は、雅号を用いていましたが、ころ合いを見て名前を変えることがありました。この人の場合、銀杏光門という名前を考え、その理由を歌にして知らせようとしたのです。現代の私達が、この内容を理解するためには、ちょっと面白い言い伝えのあったことを知らなければなりません。昔は、銀杏の葉を本の頁に挿んでおくと虫避けになる、と信じられていたのです。

銀杏葉の かしこきふみに はさまれて
みにはかどある 人真似やせん

この歌には、心から賛同したくなる感情が込められているので、もしも私が雅号を作るようなことがあれば、ぜひ参考にしたいところです!

絵の作者、柳川重信にカッコを付けましたが、何故かを説明する必要があるでしょう。この5集にある作品のほとんどは、できるだけ原作に忠実に復刻してきていますが、今回は、どちらかというと改作になります。これは、本に掲載されている状態でしか見ることのできない作品で、それもかなり不明瞭でした。もっと良く分る原作が手に入らなかったにもかかわらず、すっきりとして、しかも品のある絵にとても惹かれ、摺物アルバムに加えたくなったのです。

空摺りをしてある銀杏葉は、あまりてこずる事もなく、重信の画いた輪郭を頼りに彫りました。困ったのは歌の方です。どうにも不明瞭でなぞることができず、誰かの助けが必要でした。そこで浮かんだのが、埼玉に住む書道家の田内陽子さんです。彼女の書は、ひと目見た時から素晴らしいと思っていたので、流麗な筆で私のために文字を書いて欲しいと説得してみました。話を持って行くと、最初の時点では躊躇っていらしたのですが、原作と同じように書くのでなく、自由な筆で書いて欲しいとはっきり説明したところ、快く引き受けてくだったのです。

やがて書が送られてくると、嬉しいことに、ところどころに掠れがありました。昔の摺物ですと、書の部分はいつも明瞭に画かれているのが普通です。私は、そういった線を彫るのも好きですが、掠れに挑戦する機会ができて良かったと思いました。

次に摺です... これは、もうひとつの挑戦でした。皆さん御存知のように、木版画というのは、彫った版木の上に紙を載せて、裏からバレンで均一な圧力をかけて絵の形を移し取るという、平板な技法です。でも、明治時代の摺師達は、ここにあるように、濃さの違いを表現する技を見い出したのです。私は、そういった作品を考察して、なんとか見習おうと努めました。そして、そのように書の部分を摺ると、とても余分な時間が掛かってしまいました。とは言え、出来上がった作品を見た人が、「えっ、これ、摺ってある版画?そんなはずないでしょう、手書きだわよ!」などと言うのを聞けば、充分報われます。

とにかく作品は仕上がりました。すっきりとしたこの作品が、見る方達に穏やかな心地よさをもたらしますように。

デービッド

平成16年1月