雪の山道を行く僧

この「摺物アルバム」は日本の版画を歴史的にバランス良く紹介しているか、ということについて調べておられる収集家がいらっしゃるでしょうか、私にはわからないのですが。アルバムは計5集、作品の数は50枚となりましたが、私は歴史的に調和のとれるような選択を心掛けてきたのでしょうか?答えは、はっきり「ノー」です。そもそも、歴史を正確に反映するような作品を選ぼうなどとは、まるで考えずにアルバムを制作してきているのですから、この質問はあまり適当ではありませんね。幅広い作品内容であるとは言え、調和のとれたアルバムになどなるはずがないと請け合えるような選択基準、つまり、自分の好きな版画だけを選ぶということを優先してきたのです。ですから、国貞・国輝・国直など、豊国の後継者の作品を待っておられる方がいらしたら、きっと待ちぼうけに終わることでしょう。

とは言っても、「国」の文字を引き継ぐ絵師(50人以上います)の中に、ただひとり抜きん出た人物がいます。それは歌川国芳です。この版画は、広重の有名な東海道五十三次のちょうど翌年に出版されました。国芳は、この後作風を大きく変化させているので、これが彼の代表作とは言えませんが、すでに書いたように私自身の好みが選択の基準ですから、そういった観点からの完璧さには欠けることになります。

これは、10枚綴りの1枚で、国芳の最も良く知られる作品のひとつとなりました。ぼかしの技法がかなり多用されているのは、前回の土屋光逸の時と同じですが、今回の場合はもうひとひねり複雑になっています。  光逸の絵では、ぼかしのほとんどが空や水面などといった平坦な空間に用いられていたのですが、この絵の場合は、ぼかすところに雪片が加わっています。以前も書きましたが、浮世絵版画にある白色は絵具ではなく紙本来の色、この場合も、ここに白く見える点はすべて地の色です。ということは、海や空や山や家のある版木の一つひとつにこの点を全部彫ったということになります。これは、彫師の立場からすればさして難しいことではありませんが、このような版木を見せられた摺師にすれば、やっかいな仕事だと直感するわけです。

問題は水です。滑らかなぼかしを摺るためには、版木の表面を湿らせる必要があります。水は拭うのですが、表面にある穴に水が残ってしまい、続けて刷毛で絵具を塗り広げて摺れば、何百もの色付きの点が出てくることになります。おまけにこの絵の場合には、効果的なぼかしを出すために1枚の版木で何回も摺らなくてはなりません。海がその例で、難しさは何倍にもなり、すべての雪片がくっきり明るく残るようにするのは、かなり技の要る作業となります。

この絵には、雪片がほぼ全体に散らばっています。今回は難題を背負い込む覚悟の選択でしたから、摺の作業を限りなく続けながらも、私は愚痴をこぼしませんでした。全体としてみればとても良い習練でしたが、200枚の山が完了したときには、さすが嬉しかったですね!  

私にとってこの作品は、このアルバムの最後というだけでなく、今まで作ってきた5つの集の最終でもあります。そして、そこを飾るのにとてもふさわしい選択でした。あとがきでお読みになると分かるように、今回はすぐに次のアルバムに取りかからず、少なくとも1年間は歩みに変化を付けることになるでしょう。

という訳で、5年前にここへやって来た時と同じように、静けさの澄み渡る雪の小道の絵と共に、 ... 去って行きます。

デービッド

平成16年4月