朝顔と釣瓶(つるべ)

朝顔に つるべとられて もらい水

先月のエッセイの終わりに、「来月の作品には、ものすごくきれいな絵を選んだ」と書きましたが、御覧になって同感して頂けたでしょうか....。

絵の作者は?それが分からないのです。この絵が載っている本の奥付が一部ちぎれてしまっていて、絵師の名前が(その頁に書かれていたとすればの話ですが)ないからです。出版の日付は明治23年とあり、「美術画譜」という本の題名も読み取ることができます。副題に花鳥山水とありますが、伝統的な題材の域を越えた作品も含まれているので、幾分のずれを感じます。これを見つけたのは去年、京都の古書店でした。貞子と一緒に何か掘り出し物がないかと物色していた折に、彼女が「これ、買っておいた方が良いかしら...」と言って引っぱり出してきた本なのです。確かにその通りだったので、即決で買いました。さて、ここまでは前置、この作品にまつわる話はまだまだ続きます....

この本は黒一色で印刷されていて、色付きの絵はひとつもありません。ところが、この絵を摺物アルバムに使おうと思ったその瞬間、脳裏には色彩が思い浮かんでいたのです。といっても、ここに実際に使った色が出て来たわけではなく、それは後から決めたもので、つまり、全体としての色調が浮かんだのです。日本伝統木版画の長い歴史の中で、色の付け方は様々に変化してきました。多くは、ある特定の時代にだけ手に入れることのできた絵具の影響を受けていますが、他にも、特定の絵師や版元が持つ独特の色彩への好みが出ている場合もあります。

そうした色使いの違いはとても顕著ですから、絵を見ればひと目で判別ができます。良く知っている人なら、たとえ数センチ四方を残して、他をすべて覆ってしまっても、一枚の版画がどの時代に作られたか言い当てることができるでしょう。ある時代特有の材料が使われているか、その材料がどう使われているか、摺師の選んだ配色はどうかなど、こういったことのすべてが版画の位置を特定する道しるべとなるのです。一番はっきりしていて評判の(悪い)例は、輸入された染料が広く使われた明治時代の作品でしょう。版画のけばけばしさは、百メートル離れたところから見ても、見紛うことがありません!

明治時代の終わりにかけて、さらに新たな色調が生まれました。その息を飲むような美しさは、長谷川竹次郎という版元の創りだしたものです。長谷川氏は、日本に興味のある外国人を主な顧客としていて、日本に来る旅行者と海外の書店や博覧会向けに、本や版画を出版していました。出版物は幅広く、日本の昔話の本(英語・スペイン語・フランス語・ドイツ語で)、日本の風景を入れたカレンダー、絵と共に翻訳した歌を編集した本など、実に様々です。

そこで、彼が創り出した色調とは?どのように説明しましょうか....とてもすっきりしていて、ごく繊細です。パステル調の色使いはそれ以前の伝統版画になかったものですし、微妙なぼかしは類を見ない...私は彼の本を何冊か仕事場に置いていますが、訪ねて来た人がこれを見ると、その思い掛けない美しさに、いつも驚嘆しています。

今回、版画の色を決めるにあたり心に描いたのは、この長谷川スタイルでした。うまくできたでしょうか?版画の中に爽やかさを捕らえることはできたとは思うのですが、残念ながら精妙さの方は....もしも、長谷川氏に試し刷りを見せたら、「良いところまでつかんでいるけど、まだ分かってはいないな、...もっと経験のある人に変わってもらおうかね...」と言いながら突き返されるような気がします

とは言っても、今となっては、こういった作品を作れる「もっと経験のある人」など、どこにも居ません。この版元の作品で復刻された物は見たことがなく、またそれが何故なのかも皆目分からないのです。単純でありながら精妙な美しさを備えた作品、私の心をまさに虜にするほどです。私は、これから復刻していきたい作品の目録(限り無く増え続けるばかりの)を作っていますが、その中には長谷川版がたくさん入っています。全部を終えない前に、氏に太鼓判を押してもらえる作品が摺れるように..な..る..!

デービッド

平成14年9月