滝を登る鯉

自分の作品に関しては、かなり頻繁に収集家の方々からの感想をお聞きしています。会って話すこともありますし、手紙を頂戴することもあれば、振り込み用紙の備考欄に書かれていることも。例年開催する展示会は、もちろん、見る人が自分の作品にどう反応するかを、じかに観察できる絶好の機会です。「摺物アルバム」では、どの集にも、かなり幅広い傾向から作品を選んでいますが、どんな絵に「一番」感心が集まるか、私は興味を持ってみています。人々の好みは様々ですし、当然の事ながら、その月によっても大幅に反応は変化しますが、例年、見る人の関心度が高まるのは、実際に筆で画いたように見える作品を入れた時です。

これは、日本の文化的な背景でしょうか。たいていの人は、筆を使った経験があるので、使いこなせるか否は別として、こういった作品を見る素地ができているようなのです。浮世絵の版画を作ることはできなくても、筆を扱った経験から、出来の善し悪しが分るのでしょう。

この作者である柴田是真は、筆使いの巧みな事で知られていて、この絵には、彼の特徴とされるところが顕著に出ています。対象を完全に画ききらないのです。魚の形・岩の形・水しぶき... もうこれだけで、十分に内容を物語っていますね。是真の作品集は、手元に何冊かありますが、私の制作の題材としては、とうてい使えないようなものがいくつもあります。皆さんに送ったら、きっと、こう言って戻されるでしょうから。「デービッド、摺り終わっていないよ。ほとんど白紙じゃないか!」

絵の部分が最小限しかないからといって、復刻が簡単になる、ということはありません。たとえばこの版画の場合、摺りは9回でしたが、かすかな水しぶきから、魚と岩にある深い黒のぼかしまで、全体の均衡を保つのはなかなか大変でした。ところで、この版画には材料としてビールも入っているのです。これにはちょっと説明を付け加えなくては ....。

自宅のすぐ前に、ちょっとした食事所があります。経営者は浜中さん夫妻で、ふたりの気さくな人柄が受けて、夜になると、ここが、近所の人達のちょっとしたたまり場になります。御主人の作る手打ちうどんが美味しくて、食べたくなると行くのですが、ほろよい仲間に加わるということはありません。付き合いが嫌なのではなく、食事の時にビールを飲んでしまうと、家に帰って仕事に戻った時に注意力が散漫になって、作業に手落ちが出るからです。

ところが、以前、私の仕事は "丁寧過ぎる" と言われたことがあるのです。制御が行き渡り過ぎて、彫りや摺りに伸びやかさや自然さが欠けると。是真が筆を持ってこの絵を描く姿を想像すれば、きっちり抑制するなど、考えられないことです。筆は紙の上を素早く動き、その跡に所々絵具を残すようでなくては。自然な流れは、制御よりも遥かに大切なのです。もちろん、こんな芸当は、熟練した筆(バレン)の使い手でなくては、できませんが....

さあ、この先は、お分かりですよね。先週のある晩、浜中さんの所に行って、そうです、うどんと一緒にビールを一杯注文したのです。家に戻ると、摺台に向かってこの作品の摺りを続けました。鯉の背中に付ける、濃い黒のぼかしです。一杯飲んだことで、版画の出来に本質的な違いが出たとは、微塵も思わないのですが、その晩は作業が楽しく、是真がこの絵を描いたときの様子を想像しては、彼のように、墨をぱっぱと落としている気分になりました。

何によらず、物事には頃合が大事です。毎晩仕事の前に一杯飲む、などということは考えてもいませんが(正直なところ、酒類は余り好きでないのです)、制御し過ぎてはいけないということに、ちょっぴり気付く良い機会になりました。私の仕事は「丁寧過ぎる」という、以前与えられた助言は、自身の認めるところです。もっと経験を積んで、より伸びやかで自然な感じを作品の中に表現したいものです。

平成14年6月

デービッド