春の曙

この岳亭春信作の絵は、初めて目にした時からずうっと復刻の機会を待っていました。1820年頃に描かれた作品にもかかわらず現代的な雰囲気があり、私はこの絵の抽象的なところが気に入っています。狂歌仲間が注文して作らせた作品であることはまず間違いなく、またこの3つの歌の中に岳亭の狂歌号「神歌堂」が入っていることから、彼がこの中のひとりであるこも確実です

   とりかなく あつまの海に をかむらん     つくしの春に しらぬ日の出を    明ほのゝ こかねのからす のほるとき     ひかりとひちる 浪のしら玉    彼経に いはくありその 浪の花     ひらけて天か 下の春そと

この絵から現代的な印象を受ける要因のひとつに、墨版を用いていないという事実があります。伝統的木版画の場合は、まず墨で輪郭を画いてからそれを版木に写して彫る、というのが普通です。摺る時はこの墨版が最初ですから、その後で輪郭の内側に色を摺り入れていく作業は比較的楽になります。ところが、このように、違う色との境界になる黒い線のない場合には、彫るのも摺るのもはるかに難しくなるのです。伝統的な版画には輪郭があるために、色版を摺るときには多少のずれを許容する余地があります。見当がほんの少しずれても黒い線が隠してくれるからです。ところが、このように境界線のない場合は隠しようがありません。

去年のアルバムの9番目の作品(ハワイの海の景色でしたが)にも、ほとんど輪郭がなかったのですが、このお陰で恒例の展示会の折りにこの技法についてちょっと面白い情報を得ることができました。私は、東京にある伝統木版画組合に入っているので、会員の人達が展示会を見にくることがあります。そんな仲間のひとりがハワイの版画を見た時です、墨線(失敗を隠せるところ)のない空と海の境を指して、こんな事を言いました。「毛抜き合わせが上手にできたねえ!」

私は、彼の言葉の意図をつかもうとしました。言葉から判断すると「髪の毛を抜く合わせ目、できは悪くない!」ということのようでした。そうか、こんなに境のない色合わせを仕上げるのは、うんと辛抱強い摺師でも「髪の毛をむしる」ほど神経の立つものなのか!ところが、彼の説明を聞くうちに私の解釈が間違っていることがわかってきて、境がとてもぴったりしているので髪の毛さえもその間に入って行けないという意味だとわかったのです。

組合の人達と話をしていると、職人用語が理解できないために、これと似たようなことがしょっちゅう起こります。幅広い技術をこなすことはできるのですが、それがどういう言葉で呼ばれているのかは、まるでわからないからです。この人達は一緒に仕事をしながら技術を学んでいるので、伝統版画に関するあらゆる用語を覚えていきます。それに引き換え、いつもひとりで仕事をしている私は、そういった用語を耳にすることがありません。いつか組合の誰かを説得して、そういった用語の説明をお願いできるといいのですが。そうしたら、難しい技に直面して、不必要に「髪の毛をむしる」なんてことにならずに済むでしょうから!

別に意図した訳ではないのですが、今までのアルバムの過去3回が金属粉を使った作品から始めるという特徴を持っています。豪華な版画から始めたいという気持ちもあるのでしょうが、新年に向けての作品は特別に扱かわなくては、という思いもあるのです。アルバム最初の作品は毎年3月初旬に作りますが、この時期には私の住む地域の空気中にたくさんの杉花粉が浮遊するために、暖かさが戻ってきた喜びもつかの間、絶えまのない鼻水と目の周りの痒さに見舞われてしまうのです。この版画に使う金属粉はとても軽いので、作業をしているとこの粉と花粉がたくさん空気に入り交じってきます。もちろんマスクをしてはいるのですが、あまり効果はないようで、時としては、紙を正確な位置に置こうとする時にくしゃみが連続して出てしまい、とても苦労することがあります。でも考えようによっては、やっかい物をこんな風に一度に引き受けてしまえば、残りの版画は澄んだ空気の中で作れるようになっていいのかも知れません!

今年も私と共に歩んでくださることに感謝しています。素晴らしいアルバムを作って皆様に喜んでいただけますように!

平成14年4月

デービッド