烏と月

 今回は、すっきりした作品が欲しいところですね。盛り沢山の色で克明に作られた扇の後では、目の休まる落ち着いた絵が見たいことでしょう... 私だって、同じく!

 今年は、折よく季節に合わせた作品を作る、という点ではあまり成功していませんが、今回はずばり的中だと思います!この絵の中に、季節を示すようなものがはっきりとはないのですが、空に輝く満月は明らかに秋で、おそらく烏は晩秋の夜の寒さを凌ごうと体を重ねあっているのでしょう。

 この絵は誰の作なのでしょうか。今までに何度も模写され、復刻され、たくさんの所で使われてきている、そんなたぐいの絵なのですが、最初に作られたのは一体いつなのか、私にはわかりません。可能性が一番高いのは、尾形光琳の筆という説でしょうが、これも否定される可能性はあると思います。ま、いずれにしろ、私がこの絵を採用したという事は、歴史という一連の鎖に、もうひとつの輪を加えただけなのです。私にはよくわからないのです、なぜこの作品が、こんなに永い間人気を得てきているのか。烏というのは、最も愛されてい鳥の仲間とはどうも言い難いところですから。きっと、この寂しげな雰囲気と関係があるのでしょうが、...

 この絵の人気具合いを私個人の立場から測ると、この版画を作るのが2度目ということがあります。20年も遡って、まだカナダに住んでいた頃のこと、楽器店で働きながらいたずら半分に版画をしていて、試作品にこの絵を使ったのです。当時の出来栄えは、これとは程遠い物でしたが!つたない彫りと摺りで、出来上がりが自分の思い画いていた作品とは、ずいぶん違ったものとなっていましたが、楽しく作ったことを今でも覚えています。今回はもっと思い通りの出来になっていますが...。

 この絵の人気に関してもっと裏付けが必要ならば、ほんの数年前に外国から受け取った郵便物での経験もあります。中に入っていたのは、あるアメリカ人が、彫りも摺りも自分で行った版画でした。彼は日本人と結婚していたことから、この国を訪ねて旅行をしたりしているうちに、木版画を習いたくなって実験的に作ってみたようです。そうです、彼もまた、4羽のカラスが枝に止まっているこの絵に興味を持ったのです。

 残念なことに、彼はこういた実験を続けなかったようで、そのかわり、木版画販売商になってしまいました。ここ日本で仕入をして、世界中で販売しています。「残念なことに」と書いたのは、私以外で、この伝統木版画に取り組もうとする外国人が、ひとりもいないのはなぜなのだろうかと疑問を持っているからです。終戦後、版画家になりたい外国人がかなりたくさん日本にやってきています。でも、私というたったひとりの例外を除いて、他はすべて「芸術家としての版画家」なのです。「伝統的な版画職人」ではなく。彼等の狙いは新しい絵を創り出すことで、伝統的技術を修得することではありません。もちろん、それがいけないというのではありません。実際のところ、もしも皆が私のような事をしていたら、新しい作品が出てこなくなってしまいますから!それにしても、一体全体どうして、他の誰もこの技術に取り組もうとしないのでしょうか?他のこういった分野なら、尺八の演奏、和紙作り、日本舞踊、そして様々な武道は言うまでもなく、日本で勉強している人はたくさんいるのです。でも、伝統木版画に限っては、たったひとりしか....

 こんなことを話すと、それを聞いた人はたいてい言います。「でもねえ、却っていいんじゃあないですか、この分野はひとり占めで競争相手がいないんだから!」と。でも、私はそんな風には考えていないのです。私が作れる版画は、月にせいぜい200枚です。日本には125,000,000もの人が居て、もう少し版画職人がいたってまだ市場はあると思うのです。それに、競争相手が欲しいですよ!青い目の職人達が活躍する共同体ができたりしたら、どんなにか嬉しいでしょう。

 版画家になろうと日本にやってきて15年が経ち、その間に、少なくとも10人を越える外国人が私のように版画職人になりたいと訪ねてきました。そのうちの何人かには、かなり時間を割いて、基本を示したり始める手助けをしたりしました。そうして、見どころのある作品を作った人も何人かはいますが、...1枚か2枚だけ...  たったの1、2、枚で、それからは尻切れとんぼ。どこかに行ってしまって、以後はなしのつぶてです。

 この仕事はそれほど難しいのでしょうか。おそらくそうなのでしょう。先月の作品に、私は色摺り30回の作品を200枚作りました。ほんの数週間で摺るにしては、かなりの量です。日がないちにち、バレンを手にして胡座をかき、作業台に釘付けです。今の世の中で、こんな仕事をするなんて、よくよく正気の沙汰とは考えられない。

 でも、アルバムを見て下さい。その価値はあると思いませんか!

デービッド