婦人と傘

私達のタイムトラベルは時代を行ったり来たり、そして終点は明治、富岡永洗の作品になります。これは口絵として知られている、雑誌の折り込み用に作られた版画です。日本では、商業用の印刷機械が、それまでの労力を要するやり方に取って変わった時期で、定期刊行物が広く行き渡るようになっていました。「文芸倶楽部」は、そんな雑誌のひとつで、この版画はそこに折り込みとして入っていました。本の中にある話の一場面を描いたものなのか、あるいは内容とは無関係な作品なのか、私にはどちらかわかりませんが、何年か前に初めて見た時、とても引き付けられ、以来、復刻する機会が来るのを待っていたのです。

それにしても、すごいことです。出版社がおまけとして、毎月一冊ごとに版画を折り込んだのですから!それも、簡単にできるような代物ではなく、摺りは20回近く重ねてあります。毎月、何万枚も生産するのには、たくさんの摺師が協同で作業をしたに違いありません。私が、明治時代の口絵について年輩の摺師に尋ねると、決まって首を横に振りながらこう言うのです、「あの時代の職人にはね、できたんですよ。あんたが見たら、目を疑うようでしょうよ。目にも止まらない早さでね....1日中、何百って枚数を.....」

当時の職人が、手速い仕事をしただろうということは信じることができますが、そんなに効率良く仕事をしたにもかかわらず、彼等は高い水準を維持したのですから、もっと驚かされます。「見当」はほぼ完璧、「摺り」は滑らかで均一です。職人達の給金が良かったかどうかはわかりませんが、当時、こういった版画が無造作に扱われていたという事実から考えると、かなり安価にできたのではと推測してしまいます。無造作に扱われました.....それは今でも....。この先はお伝えしたものかどうか.....なぜかというと、ちょっと内緒の事で、教えない方が私には都合がいいんです!

ずうっと遡って、江戸時代の末期、日本が外国に門戸を開く、黒船到来の頃のことです。やってきた外国の人達にとって、日本はエキゾチックな国ですから、当然のことながら、ここでたくさんの珍しいものを見つけましたが、浮世絵もその中のひとつでした。彼等は、持ち帰れるだけ買い込みましたから、当時の日本人はホクホクでした。こちらから見れば、そういったものは、なんら価値のないものだったのです。その結果、今では、当時の版画が世界中の美術館にたくさんあり、本家本元の日本には良質の物がほとんど残されていない、ということになりました。こういったことは、皆さんも御存じで、おそらく、こんなふうに思っておられることでしょう。「あ〜ぁ、今あの時代に戻れたら、写楽や歌磨の版画がほんの安値で買えるのになあ!」

それが、できるんです!だから内緒なんです!昔に戻る必要はなくて....今、その時点にいるんですから!口絵に関していえば、私達は、当時と「まったく同じ状態」にあり、かつて浮世絵で起きたのとまるで同じことがおきているのです。ここ東京の本屋にはそんな版画が山のように積まれていますが、一体誰がそんなものを買うというのでしょう?「何もわかってない」外国人だけです。そんなのはただの「低級」な版画で、「高級」な代物ではないということがわからないから。私は、神田に行く度に、そんな版画を何枚か買うのですが、店を出てドアーが閉まると、ふたりの人が吹き出すことになるんです。店の主人は笑いながらこう言います「なんてまぬけなんだろう。あんなものに金を払うなんて!」そして店の外に出た私の方もやっぱり笑って「なんてまぬけなんだろう。こんな二足三文で売っちゃうなんて!」

双方共にごきげんで、めでたしめでたしです。でも、皆さんと賭けてもいいですがね、これから何百年か経った後に笑えるのはどっちかってね。そして泣きをみるのはどっちか....

では、ちょっと失礼して、私は電車に飛び乗って神田にいかなくっちゃ....ちょっと買い物があるもんで!

平成13年2月

デービッド