品川汐干狩

 前回の作品の原作者「大西椿年」の名前は、ほとんどの方が御存じなかったことでしょう。でも、今回の作者についてはあまり説明の必要がなさそうです。そう、一目ですぐにわかりますね、安藤広重の作品です。以前の「百人一首シリーズ」が終わりにさしかかった頃、その次に手掛ける作品について、たくさんの人達がいろいろな案を出して下さったのですが、なかでも飛び切り多かったのは、広重の「東海道五十三次」でした。好意からそう言ってくださっているのは良く分かるのですが、当時はいつも「ノー、ノー」の連発でした。これは広重が嫌いだからでも、また長期にわたるシリーズを回避したかったわけでもありません。ただ単に、東海道シリーズが随分と研究され、何度も何度も復刻されてきているからなのです。誰にとっても馴染みの作品をとりあげて、それに何年も取り組むという、過去の多くの人達と同じ事を繰り返すような理由は何ら見当たらなかったのです。私としては、あまり良く知られていない作品を見つけだす事の方に関心があり、「埋もれていた宝」を他の人達にお見せする事がなによりの楽しみなのです。勝川春章の美しい百人一首がそうであったように。

今皆さんが御覧になっている「埋もれていた宝」は、広重の「江戸名所張交図会(はりまぜずえ)」というシリーズからで、初版は1857年です。このシリーズは十枚で出来ていて、一枚に小さな絵がいくつか入っています。たぶん、摺り上がってから切り抜いても良いように作られていたのでしょう。この絵の中から、品川で潮干狩りをしている二人の女性の絵を選んでみました。

この版画については、面白い話があります。今から数年前、研究者達がアメリカでフランク・ロイド・ライト(旧東京帝国ホテルをデザインした建築家)の業績を調べていた時のことです。ライトは日本の版画の蒐集家としても有名で、日本に来る度に莫大な額を注ぎ込んでいました。今世紀初頭の事です。(彼のコレクションには、たくさんの美しい摺物が入っているので、許可が得られれば、このシリーズでも取り上げていくつもりです)くだんの研究者達が、束ねてしまい込まれていたいくつもの包みを開けてみると、江戸時代に彫られた版木が入っていて、これは正しく「江戸名所張交図会」に使われたのものでした。好奇心からだったのでしょうか、ライトは仲買人を通じて手に入れたようですが、お陰で、その版木は、その数年後の関東大震災を逃れる事になったのです。

版木はかなり良い状態で保存されていたので、当然の事ながら、再版を試みようと言い出す人が出できました。議論を重ねた末、その版木を東京に送り、近代の版元が各版画につき200枚ずつ摺りました。ところで、ここで摺り上がった作品はどう呼べば良いのでしょうか。新たにできた版画は、本当の意味での復刻とは言えません。最初と同じ版木で摺られているのですから。でも、かといって初版でもないのです。広重が亡くなってから優に百年以上は過ぎていたのですから。

ともあれ、私の作る作品は完全な復刻です。今回この作品を手掛けるにあたっては、とても興味をそそられるものがありました。「広重の色」を使うのが初めてだったからです。ふつうは見習いの者が、初期の練習用としてこの種の作品を摺ります。でも私の場合は、長いあいだ春章のシリーズに掛かっていたので、こういった色使いを試す機会がまるでなかったのです。例えば、この版画の下の方にある濃いブルーのぼかしです。これは、プルシャンブルーという色で、春章の時代にはまだありませんでした。私は、この色を使うまで20年近くも待った訳です。また、深い「草色」も広重の時代には良く使われていたのですが、これもまた、私としては初めて使う色でした。

摺物アルバムを開始してからまだ数カ月ですが、この間に、それ以前の何年分にも相当する程の事を学んだようです。我流で職人技を身につけているので、修得方法はしっちゃかめっちゃかなようですが、反面、おおいに得をしていることがひとつだけあるんです。それは、いつも新鮮な気持ちで仕事に取り組めるということです。もう何日かすれば、また次の版画に取り掛かります。でも、今の所、どうやっていくかまるでメドが立っていません。彫にも摺にも、まだやってみた事のないのテクニックを使うのですから。あれれ、次の作品の出来がどうなることやら、不安にさせちゃったかな?

平成11年7月

デービッド