雪路

新しく始める「摺物アルバム」。「雪の中の馬」は、初ページを飾るのにぴったりの絵ではありませんか! 北斎が「漫画」として描いた絵はとてもたくさんあるので、版画の題材として面白味のある作品は、一生掛かっても復刻しきれない程あります。もちろん、全部を手掛けようなどと考えているわけではありません。私に残された、あと50年かそこらの人生では、とうてい時間が足りませんから。そうでなくて、なにかちょっと趣の変わった題材が欲しい時に、この中から面白い絵を捜してみたいと思っています。昔の日本の伝統木版画は、どちらかというと、あまり情感に訴えるような物ではありませんでした。美しいのですがどこか冷ややかで、表情豊かなぬくもりに欠けるのです。でも、北斎の、中でも漫画の中で描かれた絵は、人々の日常生活をつづれ織りにしたようです。

この絵にあるのは、間違いなく生身の人たちです。筆で、ほんの大雑把に描かれているのにもかかわらずです。天賦の才とはこの事なのでしょう。臨終の床で、泣きながらこんな事を言ったと云われていますが、彼のやり所のない口惜しさが伝わって来るようです。「ああ、もう10年私を生かしてくれるなら!いや、もう5年だけでもいい。そうしたら、真の絵師になれるのに!」

ところで、これから「摺物アルバム」として私が考えているのは、様々な絵がごちゃごちゃに放り込まれている福袋のようなものなのでしょうか。答えは、YesとNoです。今までの百人一首シリーズと違って、全ての絵に共通するテーマはありませんが、その成り立ちには、理論的に一貫した要素があります。そして、各々のセットの中には、バランスのとれた十枚が入っているということです。まず、題材としては、風景画、自然、静物、人物などがあります。次に、時代的には、江戸から昭和に至るまでの長い間に渡って選んでいます。(著作権の問題が解決されれば、もっと新しい作品も手掛けて行きたいのですが) そして、絵を全体として見た時にも、この絵のようにすっきりとしたものから、来月の版画のようにもっと密度の濃いものまであります。最後に、私としてはここがもっとも興味のあるところですが、技術的に要求される内容にバランスがとれているということです。つまり、あるものには基本的な彫りと摺りの技法で臨み、また、あるものには私の腕を試すような複雑な技術で臨むというように。ですから、皆さんにお届けする版画の中には、摺物の復刻もありますが、今月の北斎の絵のように、元々は別の目的で作られていても、問題無くこのシリーズの題材となる物もあります。

結局のところ、ごちゃまぜみたいですが、でも違うんです。世界中には、美術館から個人所蔵に至るまで、おびただしい数の版画があります。その膨大な量の中から選んでいける訳ですから、私なりの定義で毎年十枚の摺物を選んでいくという事は、さして難しい事ではありません。やがて12月が来ると、選ばれて復刻された十枚の版画は、首尾一貫した内容を備えていることになるでしょう。

摺物、中でも1700年代後期から1800年代の初期にかけての最盛期に作られた物は、目を見張るような美しさで、その技術的水準は相当なものでした。依頼主は、いわゆる「通の人」で、一等級の絵師に最上級の和紙、そして最も腕利きの職人というように、全てにおいて最高級であることを要求したのです。

では、私なりの「摺物」として、幾分の不安を感じながら始めた訳ですが、実際のところ、その名に見合う内容なのでしょうか。まず、一等級の絵師 ... これは問題ありませんね。次に、最上級の和紙 .... これも問題なし。岩野さんの越前奉書は他のどれよりも優れていますから。最後に、最も腕利きの職人 .... これは〜 .....二百年前の人達と比べたら、まだまだ上達の余地はあるものの、私のこの腕ならば決して引けを取らないと思いますが....。この事は、最終的に水準を決めていく「通の人」と密接に結びついてきます。なぜなら、この私の摺物の水準を決めていくのは皆様だからです。皆様の目が厳しく、批評眼であればある程、共に水準を高めて行く事ができるのです。皆様が最高の作品を要求し、私はそれに応えようとする。共に作っていくのです。

当時の技術を持つ彫師は、もうこの世には存在しません。現実的な言い方をすれば、私は到底その水準に達することはできないのです。時代が変わり過ぎました。でも、皆様が、収集家であり批評家でもある、という形で私を支えて下されば、このデービッドがどこまでやれるものかを、示すことができるのです。このプロジェクトへの参加、心から感謝申し上げます。

平成11年3月

デービッド